京都大学大学院総合生存学館(思修館)

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教員コラム<池田裕一教授>

みなさま,深まる秋の夜長をどのようにお過ごしですか?しばらく,私の夢物語にお付き合いください。
 
地球には,太陽光(紫外・可視・赤外光)を取り込み,熱輻射を宇宙空間に放出するようなエネルギーの出入りがある。一方で,物質の出入りはほとんどない。エネルギーの出入りがあるので完全な孤立系ではないが,粗い近似として地球を孤立系とみなすことができる。孤立系の平衡状態では,エントロピーが最大となるような構造をもたない均一な状態が実現する。
 
過去10年間に多くの学生と共に行ったネットワーク解析によるミクロな観点からのグローバル経済の研究によって,グローバル経済は均一な状態ではなく,特徴的なパターン構造をもっていること示す事例を積み上げてきた。例えば,世界の貿易は,類似する業種に属する比較的近傍にある企業間で盛んにおこなわれている。また,企業間の資本関係も,類似する業種間での投資が顕著である。中間財貿易とその生産のための投資は,世界生産システムを形成している。これに伴って移民にも同様のパターンがみられ,移民は国際的な企業間の投資額と同水準の国際送金を行っている。このような特徴的なパターン構造は,グローバル経済が理想的な均衡(平衡)状態にはないことの証拠であると考えられる。
 
上で考察した孤立系よりいくぶん現実的な系を考えてみたい。地球には,さまざまな資源(原材料,生産要素)の地理的な偏在がある。例えば,原油は中近東,北米,南アジアなどに偏在する。人口は,北半球の中緯度地域位置する国々に偏在している。これらの資源の地理的な偏在を所与の制約条件として,エントロピーを最大化することによって,資源の偏在を反映したなんらかの構造が現れるであろう。しかし,資源の偏在だけでは観測されたグローバル経済の特徴的なパターン構造は十分に説明することはできない。
 
ここで,グローバル経済は地球環境の中に埋め込まれていることを思い出そう。グローバル経済は,ある価値観や社会規範を前提として,環境(外部系)からさまざまな資源を取り込み,環境(外部系)へ温暖化ガスや廃棄物を吐き出している。これより,グローバル経済は孤立系ではなく,外部系との間でエネルギーや物質の出入りのある開放系(非平衡系)であることが分かる。さらに,年スケールの短期間であれば経済成長は小さいので,定常状態として扱ってよさそうである。従って,グローバル経済は,外部系とのエネルギーや物質のやり取りによって駆動される非平衡定常状態であると考えることができる。このような状態では,エントロピーが最大化されている必要はなく,特徴的な構造をもつこととは矛盾しない。
 
経済学における一般均衡という概念では,需給均衡を所与の制約条件として,あらゆる経済主体の効用を最大化することによって経済的な均衡状態が実現されているとする。これは,孤立系におけるエントロピー最大化に対応した概念であり,非平衡系であることを明示的に考慮していない。もし,グローバル経済が効用最大化によって実現する均衡状態にないないなら,グローバル経済を説明する基本原理は何なのだろうか?この問いは,非平衡定常系の統計物理学の新たな研究テーマを提供している。一般均衡に代わる新たな基本原理を探求する研究が,私が過去15年間共同研者と共に取り組んできた経済物理学であり,過去10年間多くの学生と共にグローバル経済のパターン構造の事例解明を積み重ねてきたネットワーク科学である。
 
学生と共にネットワーク科学を研究する場であるネットワーク社会研究会の成果については,https://www.gsais-nsrg.com/をご覧ください。また,ネットワーク科学に興味を持たれた方は,‘‘ネットワーク科学―ひと・もの・ことの関係性をデータから解き明かす新しいアプローチ―” (著者:Albert-László Barabási 監訳:池田 裕一・井上 寛康・谷澤 俊弘,訳:京都大学ネットワーク社会研究会,出版社:共立出版,ISBN : 9784320124479),また,グローバル経済のパターン構造の事例解明については,‘‘Big Data Analysis on Global Community Formation and Isolation -Sustainability and Flow of Commodities, Money, and Humans’’(著者: Yuichi Ikeda, Hiroshi Iyetomi, Takayuki Mizuno,出版社: Springer,ISBN :  9789811549434)を手に取ってみてください。
 
先ほど,グローバル経済システムは,ある価値観や社会規範を前提として,外部系からさまざまな資源を取り込み,外部系へ温暖化ガスや廃棄物を吐き出していることを指摘した。この経済システムを構成するのは,人間(動物)である。動物は酸素や穀物を取り込み二酸化炭素や排泄物を吐き出し,植物は動物の出した二酸化炭素や排泄物を取り込み,酸素や穀物を吐き出す。このように,動物系と植物系は相補的な関係にあることが分かる。過去の地球においては,これら動物系と植物系の総体として,所与の制約条件下での均衡状態を実現しながら進化してきた。これが持続可能性の意味するものである。しかし,近年,経済システムからの二酸化炭素の過剰な排出による地球温暖化をはじめとする,経済のグローバル化が生み出したグローバル問題が指摘され,持続可能性を脅かすものとして深刻さを増している。
 
もし,地球温暖化に代表されるグローバル問題を取り込み,経済システムに役に立つ入力となりうるものを吐き出すような「新たなシステム」があればたいへん好都合である。動物系と植物系のように,経済システムと相補的な関係にある「新たなシステム」があれば,持続可能性を向上することが可能になるであろう。分野横断的なアプローチで研究をおこなってグローバル問題の解決策を提示する実践の学が,総合生存学である。総合生存学に興味を持たれた方は,‘‘実践する総合生存学’‘(著者:池田 裕一 編・京都大学総合生存学研究会,出版社:京都大学学術出版会,ISBN : 9784814002962)を手に取ってみてください。実は,グローバル問題の解決策を提示するために,たいへん役に立つ新しい道具がある。それがブロックチェーン技術に基づく分散台帳である。ブロックチェーン技術というと,価格暴騰する暗号資産への投機,これに関連するマネーロンダリングや詐欺などを思い浮かべ,ネガティブな印象を持っている人もいるかもしれない。しかし,欠点があるからといって大きい利点を逃すのは賢い考え方ではないであろう。ネットワーク科学,位相幾何学,機械学習,量子論理などを駆使することによって,マネーロンダリングや詐欺などのアノマリー,価格暴騰の予知がある程度までは可能になる。数学の力で欠点を抑え込み,ブロックチェーン技術に基づく分散台帳の利点をフルに生かして,グローバル問題を解決できる「新たなシステム」を作ることができる。
 
二酸化炭素の排出を抑制するには再生可能エネルギーの使用が有効であるが,太陽光発電は天候しだいで発電量が変動してしまう欠点がある。このような意図しない発電量の変動を補うためには蓄電装置が必要となる。しかし,再生可能エネルギーの出力変動を補うためだけに蓄電装置を備えるのはコスト的に問題がある。幸いなことに,電気自動車の普及が進み始めている。ほとんどの自動車では,動いている時間は少なく,多くの時間で駐車をしている。そこで,この駐車中の電気自動車の蓄電装置を電力系統に連系して,再生可能エネルギーの出力変動対策に使うことを考える。ブロックチェーン技術に基づく分散台帳によって,再生可能エネルギーによって発電した電力を使用する権利,あるいは電気自動車の蓄電装置を使用する権利を売買する市場が普及すれば,大幅なコスト増を避けて,より多くの再生可能エネルギーや電気自動車を電力系統に連系することが可能となる。これによって,二酸化炭素の排出を抑制して,地球温暖化というグローバル問題の解決策を提供することができる。このとき,自身の利益だけでなく全員のために行動をしようとする(再生可能エネルギーをより積極的に使おうとする)こと,使われていない自分の資本(駐車中の電気自動車の蓄電装置)を他人の目的のために貸し出して使ってもらうなど,従来とは異なる新しい価値観や忘れられかけている伝統的な価値観が生じていることに気が付く。この「新たなシステム」は,地球温暖化問題というグローバル問題を取り込み,新しい価値観を吐き出しており,グローバル経済システムとは相補的な関係にある。
 
現在,このような「新たなシステム」のプロトタイプとして,ブロックチェーン技術をつかったエネルギー取引システムを開発し,総合生存学館の多くの学生の協力を得て,合宿型研究施設(学寮)において実証実験を進めている。さらに,エネルギー取引システムによる地球温暖化対策だけでなく,ブロックチェーン技術のスマートコントラクト機能を使って電力消費量や住環境の温度・湿度・PM2.5濃度などを定期的に測定する生活モニタリングシステムを開発して安全な生活の確保による地方の過疎化対策,ブロックチェーン技術を使ったヘルスケア用の個人情報管理による医療周辺情報(おくすり手帳や母子手帳)の一括管理システムを開発してQOLの確保による高齢化社会対策,などへの展開も検討している。
 
数学の力によるマネーロンダリングや詐欺などのアノマリー・価格暴騰の予知,ブロックチェーン技術の分散台帳機能を活用したグローバル問題の解決策の提案に興味を持たれた方は,SICブロックチェーン研究センターのhttps://blockchain.innovationkyoto.org/をご覧ください。ブロックチェーン技術をつかったエネルギー取引システムの学寮での実証実験については,2022年8月4日〜5日,国際ワークショップ「ブロックチェーン会議2022」(BCK22)にて報告した(写真参照)。世界中から221名の参加を頂いた本会議の詳細についてはhttps://blockchain.innovationkyoto.org/bck22/,講演概要や基調講演はhttps://www.youtube.com/playlist?list=PLwroRXSVvlec5_oC96AbCLenG3ozYU21xをご覧ください。

以上

 
 
 

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