ライフスタイルと脳の働き -超高齢社会を生き抜くための心理科学-

1.研究開始当初の背景

高齢期には認知機能の個人差が拡大し、認知症になる人もいます。この個人差は、どのようなライフスタイルの差異と関係しているのでしょうか。平均的には、高齢期には認知行動課題の成績(処理速度や記憶など)が低下し、脳の構造では灰白質の萎縮(特に、前頭前野、大脳基底核、海馬、小脳など)、脳の機能では「前頭前野の過活動」が特徴的ですが、そこにも大きな個人差があります。ライフスタイルがどのような脳内メカニズムで認知機能に影響を及ぼすのか、解明が急がれています。

2.研究の目的

高齢期の認知機能の維持・向上に影響すると期待される運動、楽器演奏、社会的交流などの日常活動を取り上げ、それらの経験の影響を、種々の行動的指標で調べ、関連する脳の機能的、構造的特徴を明らかにします。

3.研究の方法

認知行動課題および脳の機能と構造を計測しながら、加齢変化を記述する研究をおこなうとともに、高齢者を対象とした介入研究やマスターズ研究を実施します。介入研究が1年以下の比較的短期の訓練の効果をその前後で比較するのに対して、マスターズ研究では長い年月の訓練の効果を熟達者と非熟達者の比較によって調べます。また、VRを用いたトレーニングなども行います。

4.これまでの成果

いくつかの研究項目のうち、これまでに結果が見えてきた研究を紹介します。

(1)超高齢期における脳活動の昂進

高齢者においては、課題遂行中の脳活動が若者に比べてその強さや範囲が増大する「過活動」が知られています。過活動は衰えた脳機能で以前と同じことをするための補償的活動とする見方もありますが、それを支持しない立場もあり、論争が続いています。多くの先行研究において、過活動は60歳代の高齢者と若者を比較して確認されてきましたが、本研究では、75歳以上の後期高齢者と前期高齢者との比較でも見られるのかを調べました。視覚ワーキングメモリ課題中の脳活動をfMRIで計測した結果、右半球の前頭前野に、後期高齢者で活動が昂進している部位が確認されました。今回の結果では、後期高齢者の過活動は課題成績と正の相関があり、補償説を支持する特徴を備えていました。過活動は成績低下を防ぐポジティブな意味と、より若い世代にない活動昂進という老化の意味合いの両方があると思われます。

Suzuki et al. (2018) Fig. 4

(2)楽器演奏訓練の認知機能への効果

高齢者への楽器演奏介入研究を行う前段階として、ピアノを習っていない小学生(1・2年生)を対象に、鍵盤ハーモニカの訓練が認知機能に及ぼす影響を調べました。ランダム化比較試験の枠組みで、参加児をランダムに2群に分け(介入群と統制群)、介入群のみに対して、学校の昼休みに1回30分、週2回、6週間の鍵盤ハーモニカの練習を実施しました。介入期間の前と後に全員におこなった認知機能検査の結果、介入群のみ数唱課題で成績が上昇しました。このことから、楽器演奏の比較的短期の練習で認知機能を向上させられる可能性が示唆され、高齢者への適用が視野に入りました。

Guo et al. (2018) Fig.1

(3)多感覚統合と運動機能の関係の加齢変化

多感覚統合の研究では、「身体近傍空間」という、多感覚統合が非常に起こりやすい空間が提唱されており、例えば、この空間内では触覚刺激のみの判断を求めても、同時に提示される視覚刺激がその判断に影響を及ぼします。身体近傍空間は、若者では手を伸ばして届く程度の範囲とされます。ところが、高齢者ではこの空間が拡大し、身体からかなり離れた場所に提示された視覚刺激でも触覚判断が影響されます。我々はこのことを運動機能との関係で調べた結果、目標志向的な歩行能力が衰えている高齢者ほど、身体近傍空間が拡大していることがわかりました。こうした多感覚統合を指標として、認知症と関連の深い高転倒リスク者の早期発見へとつながる可能性があります。

(4)認知症の予備群は顔記憶が苦手

認知症の予備群とされる軽度認知障害(MCI)は、数年後に認知症に移行する人と正常に戻る人を含んでおり、早期に発見してライフスタイルをより活動的にし、正常に戻ってもらうことが望まれます。ここでは、MCIで低下している可能性がある顔記憶課題を用い、MCI患者と健康な高齢者とを比較しました。その結果、MCIでは顔に特異的に記憶成績が低下しているだけでなく、顔記憶中の視線行動において、健康な人に見られる目元への視線集中がなく、顔の広い範囲に視線が分散していることが、特に刺激提示開始直後の視線において明らかとなりました。こうした視線計測によって、今後MCIの早期発見が促進される可能性があります。

Kawagoe et al. (2017) Fig.3_Table 3

朝日新聞 2017年11月18日第2熊本面

(5)その他の研究の状況

これまでに、楽器演奏経験が認知機能に及ぼす影響を調べるために、i)楽器の練習を長年している高齢者とそうでない高齢者の比較、ii)楽器訓練経験のない高齢者への3~4か月の楽器訓練介入効果を調べるランダム化比較試験を実施し、データ解析中です。

楽器介入研究の様子

また、運動経験が認知機能および脳構造に及ぼす影響を調べるために、i)長年スポーツをしている高齢者とそうでない高齢者の比較、ii)高齢者への3か月の運動介入が認知機能に及ぼす影響のランダム化比較試験を実施し、データの解析が進んでいます。

さらに、認知症の副次的促進要因である転倒・骨折を防ぐために、高齢者の歩行制御能力をバーチャルリアリティによって転倒の危険性なく訓練できるシステムの開発を進めており、安全に訓練できることを確認しています。

また、世代間交流が記憶や動機づけにもたらす影響を調べるために、異世代、同世代の人からのメッセージ受容中の脳活動を調べる実験をおこない、データ解析中です。

5.今後の計画

脳画像データについては解析に時間がかかるため、それらの解析をさらに進めます。横断データのみでライフスタイルの影響が見えにくかった項目については、縦断的なデータを取得し、真の加齢変化を計測することが望まれます。また、認知機能、脳機能、および脳構造との解析結果を関連づけることで、認知加齢の個人差の神経基盤にライフスタイルがどのように関わるのかを掘り下げて行きます。

VRによるトレーニングについては、システムができたので、これからが本番です。

6.これまでの発表論文等

Suzuki, M., Kawagoe, T., Abe, N., Otsuka, Y., Nakai, R., Yamada, M., & Sekiyama, K.(全10名). Neural Correlates of Working Memory Maintenance in Advanced Aging: Evidence From fMRI. Frontiers in Aging Neuroscience, 10, 14, (2018). doi:10.3389/fnagi.2018.00358 外部リンク


Guo, X., Ohsawa, C., Suzuki, A., & Sekiyama, K. (2018). Improved Digit Span in Children after a 6-Week Intervention of Playing a Musical Instrument: An Exploratory Randomized Controlled Trial. Frontiers in Psychology, 8, 9. doi:10.3389/fpsyg.2017.02303 外部リンク


Matsushita, M., Yatabe, Y., & Hashimoto, M.(全10名).Are saving appearance responses typical communication patterns in Alzheimer's disease? PLoS One 13(5), e0197468, (2018)


Kawagoe, T., Matsushita, M., Hashimoto, M., Ikeda, M., & Sekiyama, K. (2017). Face-specific memory deficits and changes in eye scanning patterns among patients with amnestic mild cognitive impairment. Scientific Reports, 7, 9. doi:10.1038/s41598-017-14585-5 外部リンク


Teramoto, W., Honda, K., Furuta, K., & Sekiyama, K. (2017). Visuotactile interaction even in far sagittal space in older adults with decreased gait and balance functions. Experimental Brain Research, 235(8), 2391-2405. doi:10.1007/s00221-017-4975-7 PDF


Muroi, D., Hiroi, Y., Koshiba, T., Suzuki, Y., Kawaki, M., & Higuchi, T. (2017). Walking through Apertures in Individuals with Stroke. PLoS One, 12(1), 21. doi:10.1371/journal.pone.0170119


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