磯部洋明(総合生存学館准教授)
 
先日、「重力波」がついに初検出されたというニュースが新聞の1面を飾りました。
 
今からちょうど100年前にアインシュタインが発表した一般相対性理論は、重力を時空の歪みとして説明する理論です。質量(重さ)を持った物体が運動する際にこの時空の歪みが時空の中を光速で伝播する現象として、一般相対性理論がその存在を予測していたのが、重力波です。その歪みは極めて微少なものなので、検出することが大変困難なものでした。今回の発見は、はるか彼方にある2つのブラックホールがお互いの周りを回りながら近づいて最後に合体するという、宇宙の中でも極めて強い重力波を出す現象から出た比較的大きなシグナルを、米国の観測装置LIGOが捉えたものです。
 
いかに技術的に困難とはいえ、多くの研究者が重力波の存在そのものを疑ってはいなかったということを考えれば、ある意味で今回の重力波検出そのものは驚きではなかったと言えるかもしれません。しかし重力波検出の意義は、単に一般相対性理論の予言が確認された、ということのみに留まりません。それは、私たちが行くことのできない遠く離れた場所で起きていることを知るための、これまでとは原理的に異なる全く新しい手段を得たということを意味します。
 
私たちの身体は、自分の周囲からやってくる電磁波(光)や空気の振動(音波)や物質(におい)を検出・分析すること、つまり視覚や聴覚や嗅覚によって、自分から離れた場所の情報を得ることができます。同じように、遠く離れた天体のことを調べる天文学者は、天体が発する電磁波や粒子(宇宙線、ニュートリノなど)を様々な方法で捉えて、その天体に関する情報を得ようとします。重力波は、宇宙を探るための全く新しい「感覚」になることができるのです。
 
実際、今回発見されたブラックホールの合体という現象は、理論的にはあり得るとされていましたが、これまで観測的に確かめられたことはありませんでした。重力波の波形や周期の解析により、合体したブラックホールの重さが太陽の数十倍であることも分かりましたが、このような重さのブラックホールは観測的にも理論的にも存在が疑問視されていて、ブラックホール形成の物理に対して新たな疑問を投げかけることになりました。天文学者、物理学者たちが長年追い求めてきた「重力波で宇宙を探る」という新しい学問がまさにいま始まろうとしています。
 
さて天文学・宇宙物理学は、基礎科学の中でも特に「それが何の役に立つの?」という問いがいつもついて回る分野です。宇宙物理学を専門としながら総合生存学館(思修館)に所属している私には、重力波の検出は「人類と地球社会の生存」という総合生存学の目的と何の関係があるのかという(誰も関心ないかも知れない)問いがつい気になってしまいます。
 
この問題を考える時まっさきに思い浮かぶのは、アメリカの物理学者ロバート R. ウィルソンがかつて議会で行った有名な証言です。ウィルソンは、物理学の基礎研究に使う加速器という実験施設を建設するための莫大な予算を審議する議会の委員会で、その研究がアメリカの国防にどう役に立つのか?と問われました。ちょっと長くなりますが引用してみましょう。
 
議員「この加速器が何か国防につながるような見込みはありますか?」
ウィルソン「いいえ、何もないと思います」
議「全くなにもないのですか?」
ウ「全くなにも。」
議「その意味では何の価値もないと?」
ウ「人々がお互いを認め尊敬しあうこと、人間の尊厳、文化への愛、そういうことにでしたら関係があります。すみませんが軍事とは何の関係もありません。」
議「いえ、謝ることはありません」
ウ「謝っているわけではありませんが、正直に申し上げて、軍事面への応用可能性はありません」
議「例えばロシアに対する我々の優位性を保つのに資するといったことはありませんか?」
ウ「技術の進歩に関する長期的な視点であればあるかもしれません。もしくは、次のようなことに貢献し得ます。我々は優れた画家であるか?優れた彫刻家であるか?偉大な詩人であるか?それがゆえに私たちが国を愛し、そこに価値や名誉を見いだすような、そういった事柄に関するものです。その意味では、この装置がもたらす新たな知見は、国の名誉に関わるものであり、国を守ることに直接役立つことはありません。ただ、この国を守るに値する国にすることには役に立つことができます」
 
はたしてこの証言のあと、ウィルソンの加速器の予算は認められ、ウィルソンはその研究所の初代所長に就任しました。紹介したやりとりを含むウィルソンの証言全体は、研究所のホームページで今も読むことができます。
http://history.fnal.gov/testimony.html
 
ウィルソンにならって言えば、人間の生存と重力波の関係はこういうことができるでしょうか。
 
「長期的で一般的な技術の進歩ということを除けば、重力波の検出は、人間の生存に直接役立つことはありません。ただそれは、絵を描いたり彫刻を作ったり詩を詠んだりすることと同じように、人間がこの宇宙で少しでも長く生存することの意味と意義を見いだすのに役に立つかもしれません」
 
ここに来て思い起こされるのは、病弱な身体を押して厳しい工場労働者の生活を送ることを選んだ哲学者、シモーヌ・ヴェイユの言葉です。(この言葉を私に教えて下さったのは思修館の藤田正勝先生です)
 
「労働者たちは、パンよりも詩を必要とする。その生活が詩となることを必要としている。永遠からさしこむ光を必要としているのだ。」
 
もちろん人はパンなくして人は生きられませんので、基礎科学に費やされる巨額の税金がどう正当化されうるか、という問題は残ります。
 
が、願わくば、天文学が毎日を生きる人々の詩とならんことを。