京都大学大学院総合生存学館(思修館)

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遊聞会便り(第4号)

アカデミアを離れて感じること

光山正雄(旧教員)
京都大学名誉教授

2013年春に医学研究科を定年退職の後、縁あって発足間もない総合生存学館思修館の特定教授に採用され、さらに5年間若い思修館院生諸君と学問を続けることができました。英語での授業やセミナー、発表会といったルーチンの教育活動は当然として、若い院生諸君が5年間一貫大学院教育の環境に飛びこみ、希望と現実の狭間で悩み、やりたいこととやらねばならないことのギャップに苦しむ姿をみて、研究教育とは少し違った視点で何人かの学生さんとじっくり話しをしたことが一番印象に残っています。通常の大学院とは異なり、否応無しの沢山の必須単位取得やボランテイア的な必修活動に、少なからず拒絶反応を示した方もありましたが、どんな経験であっても、それを通して自身を磨く機会になったはずです。その授業や課題学習の中で考え学び(覚えたではなく)体得したものは、直ちに役立つノウハウではないように見えても、当人の先々の実力形成に間違いなく貢献するはずだと信じています。いま現在思修館で学んでいる若い院生諸君も、そのことを是非認識して欲しいし、先輩諸君はそのことを自分の経験として後輩に伝えていって欲しいものです。
 
併任ではありましたが、京大白眉センターのセンター長を兼務できたことも、基礎研究畑で40年以上を過ごし、専門の病原微生物学・感染免疫学以外の多様な領域にも常に好奇心を抱き続けてきた私にとって、若い白眉研究者による人文学から宇宙物理学に亘る広範かつ最先端の学術研究に触れる機会を継続できたことは望外の喜びでした。
 
さて本年3月で総合生存学館の特定教授の任期が終了し、それに伴って白眉センター長や次世代研究創成ユニット長の職も含めて京大を完全退職となりましたが、前年から、完全退職後の人生をどう送るかは難しい問題でした。貧乏性の私ゆえ、無職の年金暮らしには耐えられないだろうというのが、私自身は勿論、私をよく知る多くの人たちの感想だったようです。それでも、家内と相談する中で、次の職を何処かに求めてずるずるとアカデミアでの活動を継続することは一旦止め、しばらくは空白の時間を作ってみよう、ついては何処か海辺で暮らしてみようという最終選択に至り、6月に京都の自宅を畳んで九州大分県の杵築市という、小さな城下町の外れの海辺に移住してきました。辺鄙さはこの上もなく、今度の家の周囲には街灯もなく、路線バスも走っておらず、どの方向に1時間歩いてもコンビニ1軒行き当たらないようなところです。
 
国東半島の根元にあって別府湾を望むリゾート地域に来てみて最初に実感したのは、大自然の豊かさがまだこんなにあるんだ、ということです。高台の自宅のベランダから眺める別府湾に上る朝日と海の色、刻々と変化する空の色は、人の手の加わっていない悠久の大自然のスケールを再認識させてくれます。また、庭にやってくる野鳥の種類の多さ(ウグイス、ヤマガラ、シジュウカラ、ホトトギス、センダイムシクイ、トンビ、ドバトなど)とその囀りは、路線バスもなく車の行き交う公道もない環境での唯一のサウンドとして、浜辺の波の音とともに朝夕心地よく響いてきます。
 
街灯もなく、また3方を囲む森のおかげで市街地の明かりすら届かないところのために、晴天の夜はまさに満天の星空で、あまりの星の多さに主要な星座を見つけ出すのに苦労するほどです。これまでは「自然を守ろう」、「生態系を大切に維持しよう」と、やや観念的に口にしてきましたが、ここは俺たちのテリトリーだぞと言わんばかりに庭先を我が物顔で飛び回る野鳥や、久しぶりに目にする多種多様な昆虫、植生を身近な仲間と感じて生活していますと、本当に自然の豊かさを壊さない謙虚さが大事だと実感されます。思修館の皆さんも、是非いろんな機会に、Global issueを心から感じ取って将来の活動の原点にして頂きたいと思います。
 
もう一つ、無職年金暮らしの身になって思うことは、そのような立場になった我々高齢者のレーゾンデートルは一体何かということです。多くの知人は、これまで長い間大変な苦労をして頑張ってきたのだからゆっくり休めば良い、と言ってくれますが、何十年もの間、原稿や報告書の締め切りや会議・出張に追われ、スケジュール帳が目一杯なほど自分はactiveに活動していると勘違いしてきた者にとって、突然降ってきた連日の休日状態に、まだやや戸惑いがあることも否定できません。自分が生きている、ただ生き続けている、ということが、この世界に何かの意味があるのか、何か貢献していることになるのか、という問いへの答えがみつかるには今少し時間を要するのだろうと感じています。いわゆる都会暮らしから決別してみて、外部からの評価や期待を全く度外視できる環境で、今後自分の向かうところ、目指すところをじっくり考えてみようと思います。当分は、これまで完読されることなく書棚に眠っていた、近世史や科学史など専門外の書物を晴読雨読三昧の日々を過ごすことにしております。
 
アカデミアを離れてみて初めて、要望(要請)される学術と自分が真に希求する学術の違いに思いを致す時間が得られたように思える今日この頃です。
 
2018年07月14日記す

▲自宅から別府湾をのぞむ
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