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「八思」こそがリーダーシップ教育につながる

川井学館長: 山極総長、たいへんお忙しい中お時間を取っていただいて、ありがとうございます。今日は、総合生存学館(思修館)に期待することをお伺いしに参りました。まずは京都大学として、思修館とそこで行なわれるリーダーシップ教育をどのように評価されていらっしゃるか、お話しいただけないでしょうか。
山極総長: 思修館といえば、「八思」です。さまざまな学問領域を習得する、ということを一つの大きな目標にしています。リーダーには、さまざまな分野の教養を頭の中に収めておく必要があると思っているからです。それはなぜかというと、リーダーはさまざまな人と付き合う必要があるからですね。社会の色々な階層に所属する人たち。色々な職業に従事する人たち。それぞれの人たちを納得させなくてはいけない。そのためには、社会の仕組みがどうできているかということはもちろんのことながら、それぞれの分野で、どういう人たちがどういう情熱で働いているのかを理解しておく必要があるということです。だから、机上の学問だけではなくて、実際にさまざまな人たちの現場に行って自らの身体でそれを感じるということが必要です。 私がなぜそういうことを言うかというと、自分自身がさまざまな世界を渡ってきて「そこで新しいことを提案して現場の人たちを納得させるには、さまざまな知識を総動員して、自分がやりたいことを、熱意を持って伝える。それが相手に伝わらなければ、新しい仕事はできない」と思ったからです。そのためには語学も必要だし、自分がやりたいと思っていることをきちんと相手の言葉で描き、そして相手を感動させなくてはいけないわけですね。そのためには、自分がきちんとしたストーリーを持っていることが必要です。そのストーリーは、相手のわかる言葉で、相手のわかる分野の知識でもって語らなければならない。それがリーダーの素質だと思います。 いま大学がどんどん専門化してしまって、タコツボ化してしまっていると言われている。その壁を乗り越えて、多様な分野で知識を持ち、そしてそれを相手に伝えることができる翻訳者の能力を身に着けなければ、実社会ではリーダーとして活躍はできないと思います。私は、それを思修館に非常に期待しています。
川井学館長: 京都大学を俯瞰してみると、「八思」という非常に幅広い知識分野の総合的な蓄積があって、それは世界に認められたものだと私は思います。一方で、芸術分野の実践力は必ずしも十分ではありません。そこで「八思」の中では、京都に中核がある茶道や華道などについて、中心都市・京都の中から一流の先生方をお呼びして一緒にやっていきたいと思っております。

山極総長: 京都はね。世界の中のどの都市よりも、自分が世界一だと思っている人の密度が高い所だと思うんです。もちろん芸術家の方々もそうですし、職人の方も、それから市井に生きる人たちもそうですね。それは、京都という歴史の厚みの中で、自分を見つめることができるからだと思います。「日本の中で」というよりも、「世界の中で」ということが、直接繋がっている。こういう技術を持っている人は世界に俺しかいないんだ。私しかいないんだ。そんな誇りの中で暮らしていますから。それが一つの矜持になって、非常に高度で質の高いものが伝えられるのだろうと思いますね。


思修館から京都のもつ文明論的意義を見つめる

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川井学館長: 山極総長は、霊長類の研究の大家でいらっしゃいますけれども、その中で、人間史という大きな軸で、さまざまな物事を考えられることも多いのではないかと思います。歴史に学ぶということも、この思修館の中では非常に重要かなと私は思っています。
山極総長: そうですね。私も、ゴリラというものを通じて人間社会のさまざまな営みを探ってきたんですが、一つの視点を作ってから他の分野の方々の意見を取り入れると、新しい考えが浮かぶんですね。だから、ちがう分野の方々と話をするのは、私はとても好きです。そのことによって、世界の見方が変わるんですね。あ、こんな見方あるんだ、と。 ただ、その見方をすぐ受け入れるのではなくて、自分の分野と相手の分野を突合してみて、そういう提案をこちらの分野から見返してみて、新しい提案をする。そういう共同作業になるわけです。それぞれが、ちがう意見を持っているから新しい発見ができるし、ちがう世界が重なり合うからこそ、そこから新しい考えが育つ。そういうものだと思いますね。

川井学館長: そういう意味では、さまざまな人と出会い、議論をして、お互いにインスパイアされるという場が、絶対に必要でしょうね。
山極総長: そうです。京都は、もともとそういう場所でね。やっぱり今、五千万人の観光客が来ると言っていますけれども、その人たちがただ通過しているだけではなくて、いろんな所で出会い、交流し、話をしていくわけですね。さまざまな分野やさまざまな国の人たちが出会って、異なる知識を交換させながら、京都を中心として何か新しいものが育っていく。これは、京都全体がそうですし、京都大学という最先端の学問をやっている人たちがその中心になる。それはおこがましいようですけれど、世界にとっては、とても素晴らしいことじゃないかと私は思っています。



「知の越境」が新しい独創を生み出す


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川井学館長: 京都大学という所は、それぞれの分野で世界一になることをずっとめざしてきました。いわばそれぞれの学問分野でずっと深堀をしてきた。それに対して、思修館は、「八思」という、全体を俯瞰することを教えようとしている。すると、そこにどうしても軋轢が生まれます。だから、京都大学の先生方は、思修館の「八思」という考えをなかなか認めてくださいません。博士を取るということは、そんな甘いものじゃないと、多くの方がおっしゃる。しかし私は、これから日本と世界に必要なのは、T型やΠ型の論議を超えて、幅広い知識と深い専門性をつなぐことができる智慧・教養を獲得した人間だと思っています。この論争に対して、山極総長のメッセージをいただけないでしょうか。
山極総長: 「新しさ」、つまり創造性というのは、一つの学問領域の中で認められないものもあると思うのです。これまでの学問は、それぞれ境目があって、その中で「深める」ということによって、「新しさ」を作り出してきたわけだけれども、思修館は深堀ではなくて、色々な学問を合わせた中に新しい発想があるわけです。新しい試みが提案できるし、自分の学問として提出することができる。いうなれば挑戦なんですよね。

ただ、その成果がどう問われるか。実践ですから。実践の学問としてどういう風に社会に通用するか、その真価が問われると思います。
川井学館長: 今ちょうど教員全員で、テキストを書きあげました。「総合生存学の構築をめざして」(京都大学学術出版会、今年夏頃出版予定)という本です。ここには、まさに山極総長がおっしゃったように、「実践の学問として何をめざすのか?」ということを皆で書きました。
山極総長: さまざまな学問領域を俯瞰しながら、そこにいろんな形で足を入れながら、新しいことを考える。今まではその学問の中で、新しい物事を創造してきたわけですけれども、それをつなげることによって、どれだけ新しい創造的な物ができるのか、ということだと思いますね。それを今の社会は必要としている。私はそう思います。
川井学館長: 実践の中で解決策をきちんと提示していくということ、そして方法論ときちんととつなげていくことをこれからもやっていきます。
山極総長: 期待しております。


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